「史跡紹介」一覧
【三井寺(園城寺)】数々の伝承に彩られた大寺院
歴史 当寺の起り 伝承では、壬申の乱で天武天皇との戦いに敗れ自害した大友皇子(弘文天皇)の息子である大友与多王が父の供養のために、天智天皇が持っていたとされる弥勒像を本尊として寺の建立を発願したとされています。 そして、寺伝によると朱鳥(しゅちょう)元年(686年)に、敵対していた天武天皇の勅願がなされ建立が許可されました。 また、園城寺(おん…
【壺井八幡宮】河内源氏の本拠地に氏神を勧請した神社
歴史 寛仁(かんにん)4年(1020年)に源頼信が河内守(かわちのかみ)に任命されてから、この一帯(大阪府羽曳野市)は河内源氏の本拠地となりました。 その後、康平7年(1064年)に「前九年の役」を平定した源頼義が、河内源氏の氏神である「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」を私邸の東側に勧請(かんじょう)したのが、本宮の創建です。 その後、…
【源氏三代の墓】河内源氏の礎を築いた三代が眠る地
河内源氏(かわちげんじ) 源頼朝や源義経をご存知ですか? 多くの人が知っていると思われます。 鎌倉幕府を開いた頼朝と、牛若丸で知られる義経は有名です。 この二人は共に「河内源氏」の流れを汲みます。 「河内源氏」とは、源満仲(みつなか)の子、源頼信(よりのぶ)が河内国司に任ぜられ、河内国古市郡壷井(現在の大阪府羽曳野市)を本拠地とし…
【義仲寺】松尾芭蕉が愛し最後に供養される場所に選んだ寺
創建から現在まで 創建年代は不明。 一説には治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)(源平の戦い)の1つである「粟津(あわづ)の戦い」によって自害した木曾義仲を供養するため愛妾(あいしょう)の巴御前が日々供養したことが始まりとされています。 その他では、室町時代末期の天文22年(1553年)頃に佐々木六角氏が義仲を供養するために建立し、石山寺…
【瀬田の唐橋】京と東国を結ぶ歴史的に重要な戦いが繰り広げられた橋
瀬田橋にまつわる戦いの歴史 古来より京の都と東国を結ぶ交通の要衝だったので「唐橋を制する者は天下を制す」と言われていました。 そのため、歴史的な数々の戦乱の舞台となっています。 瀬田橋の擬宝珠(ぎぼし) 壬申の乱【天智天皇10年(671年)】 天智天皇の息子である大友皇子(後の弘文天皇)に反旗を翻した、天智天皇の弟である大海人皇子…
【石山寺】滋賀県が誇る日本最古の多宝塔を有する寺
歴史 当寺蔵所の「石山寺縁起絵巻」によりますと、良弁(ろうべん・りょうべん)が聖武天皇の勅願により天平19年(747年)に開基したと伝わります。 東大寺大仏建立との関係 なぜこの地に建立したのかは東大寺の大仏が関わっています。 当時、東大寺の大仏建立のために大量の黄金が必要でした。 そのため聖武天皇は良弁に命じて、吉野の金峰(峯)山(きんぷせん)に黄金を産し…
醍醐天皇と太閤秀吉に愛された醍醐寺の歴史を訪ねる。
歴史 醍醐寺は貞観(じょうがん)16年(874年)、弘法大師(こうぼうだいし)・空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)によって創建されました。 この地はもともと笠取山と呼ばれ、山岳信仰の対象とされていた場所でした。 伝承によると、聖宝がこの山を登った際に白髪老人の姿をした横尾明神に出会い、湧き水の出る当山を譲り受けまし…
【般若寺】驚きの高さを誇る「十三重石宝塔」を有する寺
歴史 飛鳥時代の舒明元年(629年)に高句麗の僧 慧灌(えかん)法師が「般若台」と呼ばれる精舎を創建しました。 奈良時代に入りますと、天平7年(735年)聖武天皇が卒塔婆(そとうば・そとば)などの伽藍(がらん)を建立し、平城京の鬼門鎮護(きもんちんご)のために紺紙金泥(こんしこんでい)の「大般若経」六百巻を地中に納めたと言われています。 そして、この経題(き…
【白毫寺】「えんまもうで」で有名な奈良を眺望できる山寺
歴史 霊亀元年(715年)、天智天皇の第七皇子・志貴皇子 (しきのみこ)が亡くなった後、天智天皇の勅願で志貴皇子の山荘跡を寺にしたと言われていますが、空海の師である勤操大徳 (ごんぞうたいとく)の岩淵寺 (いわぶちでら)の一院とするものなど諸説あります。 平安時代になると平安遷都にともない寺も寂れていきましたが、鎌倉時代になると西大寺の叡尊 (…
【新薬師寺】日本屈指の国宝 十二神将立像を拝観
歴史 建立の正確な年代はわかりませんが、天平19年(747年)に光明皇后が、夫の聖武天皇の眼病平癒祈願のため創立したと伝わっています。 新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな」薬師寺という意味があるそうです。創建当時は「香山薬師寺(香薬寺(こうやくじ))」と呼ばれており、東大寺と並んで南都十大寺の一つに数えられ、四町(約440m)四方の境内に…