史跡紹介
【三井寺(園城寺)】数々の伝承に彩られた大寺院
探訪日:2016年3月20日
掲載日:2016年11月23日
楼門(仁王門)(重要文化財)
この大門は、三間一戸、屋根入母屋造桧皮葺の楼門です。
宝徳4年(1452年)に滋賀県甲賀郡石部町の常楽寺に建てられ、のち伏見城に移され、さらに慶長6年(1601年)徳川家康の寄進によって園城寺へ移されたもので、仁王門とも呼ばれています。
(現地説明板)
食堂(釈迦堂)(重要文化財)
建築年代は室町時代初期と言われています。
後世の改造も多く、唐破風の向拝は江戸時代に付けられたものですが、内陣部分や須弥壇には古い手法が残されており、特に須弥壇には精巧な彫刻が施されています。
(現地説明板)
三井の晩鐘
慶長7年(1602年)に「弁慶鐘」の跡継ぎとして豊臣家によって鋳造されたと言われています。
琵琶湖の龍神伝説との関連で釣鐘の頭頂部は「竜頭」になっています。
近江八景「三井の晩鐘」として親しまれている梵鐘は、音色の良いことから「音の三井寺」と称され、形の平等院、銘の神護寺とともに「日本三名鐘」のひとつに数えられています。
(現地説明板)
堂前灯籠
天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を誅し、その罪障消滅のため、天皇が自らの左薬指(無名指)を切りこの灯籠の台座下に納められたと傳えられている。
(現地説明板)
金堂(国宝)
この堂の大きさは桁行7間、梁間7間で、屋根は一重入母屋造桧皮葺です。
桧皮葺屋根の落ち着いた雰囲気と横にスラッと伸び反り返った形状との調和に美しさを感じます。
現在の建物は慶長4年(1599年)に豊臣秀吉の夫人北政所によって建てられたものです。桃山時代の特色が向拝の手挟や蟇股などにみられるほか、内外陣を格子戸や扉で仕切り、外陣・後陣・脇陣を板敷き(床張り)に、内陣を土間にするなど天台密教寺院における仏堂の特色をよくあらわしています。
(現地説明板)