1. 史跡・名所紹介 - 記紀の旅猫のホーム > 
  2. 史跡紹介 > 
  3. 滋賀県 > 
  4. 大津市 > 
  5. 【三井寺(園城寺)】数々の伝承に彩られた大寺院

史跡紹介

【三井寺(園城寺)】数々の伝承に彩られた大寺院

【三井寺(園城寺)】数々の伝承に彩られた大寺院

国宝重文三重塔龍神円珍

探訪日:2016年3月20日

掲載日:2016年11月23日

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1 2 3 4

閼伽井屋あかいや(重要文化財)

こちらも金堂と同じく再建された建物です。
慶長5年(1600年)に金堂の後に再建されました。

閼伽あかは、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。

(wikipedia)

内部には、天智・天武・持統の三天皇の産水となり、三井寺の名の起こりとなった湧泉が石組の間から湧きでています。

(現地説明板)

閼伽井屋

蟇股の龍は伝説の彫刻職人「左甚五郎」の作と言われています。

(wikipedia)

閼伽井屋

 
 

弁慶鐘(重要文化財)

この鐘は「瀬田の唐橋」で登場した「藤原秀郷ひでさと」が、大ムカデ退治の褒美として龍神から貰い、それを寄進したといわれています。
その後、延暦寺と争った際に、武蔵坊弁慶が比叡山まで引摺り上げて鳴らしてみると「イノー(帰りたい)、イノー(帰りたい)」と響いたため、谷底へ突き落としたと言われています。
そのためこの鐘は「弁慶鐘」や「弁慶の引摺り鐘」と呼ばれるようになりました。

弁慶鐘
生々しい引き摺り跡が残っている

 
 

経蔵(重要文化財)

この寺院内で一番素晴らしい建造物と感じた八角形の「転輪蔵てんりんぞう」が据えられています。

この経蔵は、もと山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって慶長7年(1602年)に移されたものといわれています。

(現地説明板)

経蔵
屋根を支える斗栱ときょうの組み合わせが、重塔の魅力

輪蔵は八角八柱造り、八方に千鳥破風ちどりはふを作り、龕内がんないに経論の守護である中国の人、傅大士ふだいしを安置する。

(現地説明板)

経蔵
境内で見たもので一番素晴らしいと感じた建造物
経蔵
天井にはまだ色が残っている

 
 

三重塔(重要文化財)

重なりは三重だが、どっしりとした構えが立派な塔です。

大和国(奈良県)の比曽寺ひそでら(現在の世尊寺せそんじ)にあった東塔を慶長6年(1601年)に移したもので、大和地方における中世の塔の風格をもっており、鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされています。

(現地説明板)

三重塔
屋根を支える斗栱ときょうの組み合わせが、重塔の魅力
三重塔
丸みを帯びた鬼瓦

 

1 2 3 4

史跡情報

園城寺(三井寺)

住所:滋賀県大津市園城寺町246

国宝重文三重塔龍神円珍

探訪日:2016年3月20日

掲載日:2016年11月23日

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
略式年表
  1. 旧石器時代

    西暦:〜紀元前1万4000年頃
    都:不明
  2. 縄文時代

    西暦:紀元前1万4000年頃~紀元前300年頃
    都:不明
  3. 弥生時代

    西暦:紀元前300年頃~250年頃
    都:不明
  4. 古墳時代

    西暦:250年頃~600年代の末頃
    都:不明
  5. 飛鳥時代

    西暦:592年~710年
    都:飛鳥京(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(645年):難波宮(摂津国:大阪市中央区)
    遷都(655年):飛鳥京(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(667年):近江大津宮(近江国:滋賀県大津)
    遷都(672年):飛鳥浄御原宮あすかのきよみはらぐう(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(694年):藤原京(大和国:奈良県橿原市)
    乙巳いっし・おっしの変(645年)
    中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を暗殺した政変。
    蘇我氏の本宗家は滅亡した。
    蘇我氏などの飛鳥の豪族がいる場所から、難波宮に遷都(645年)。
    ・大化の改新(646年)
    乙巳の変後に改新の詔に基づく政治改革。
    天皇を中心とする中央集権を目指した。
    ・白村江の戦い(663年)
    朝鮮半島の白村江で行われた、倭国・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争。
    しかし倭国・百済連合軍は敗戦。
    日本侵攻を防ぐため太宰府に水城を築き、九州沿岸には防人を配備した。
    さらに防衛のため、近江大津京への遷都も行っている(667年)。
    ・壬申の乱(672年)
    天智天皇の死後、大海人皇子(後の天武天皇・天智天皇の異母弟)が反乱を起こし、大友皇子(後に弘文天皇の称号を得る・天智天皇の息子)を自決に追い込んだ内乱。
    乱後、大海人皇子は天武天皇となり、飛鳥浄御原宮を造って即位した。
    ・大宝律令(701年)
    661年、天武天皇により律令制定の詔が出され、天武没後の689年に持統天皇により飛鳥浄御原令が施行された。
    ただ、まだこの段階では「令」のみで「律」は制定されていなかった。
    そして、701年に文武天皇により大宝律令が公布された。
    日本初の本格的な律令政治の基本法である。
    また、編纂には藤原鎌足の息子、藤原不比等も関わっていた。
  6. 奈良時代

    西暦:710年~794年
    都:平城京(大和国:奈良県奈良市)
    遷都(744年):難波宮(摂津国:大阪市中央区)
    遷都(745年):紫香楽宮(滋賀県甲賀市)
    遷都(745年):平城京(大和国:奈良県奈良市)
    遷都(784年):長岡京(山城国:京都府長岡京市)
    ・平城遷都(710年)
    710年に元明天皇により平城遷都の詔が出された。
    平城京は唐の長安や北魏洛陽城を模して建造されたとされている。
    ・古事記の成立(712年)
    古事記の最初の編纂は天武天皇の時代に遡ります。
    天武天皇は稗田阿礼ひえだのあれ誦習しょうしゅう(書物などを暗記する)を命じました。
    しかし、天武天皇が亡くなったので、元明天皇が太安万侶おおのやすまろに命じ、稗田阿礼が誦習していた内容をまとめさせました。
    そして、712年に太安万侶から元明天皇に献上されました。
    現存する最古の「歴史書」とされています。
    ・日本書紀の完成(720年)
    日本書紀は天武天皇の命により編纂が始まります。
    681年に川島皇子らに編纂を命じ、720年に天武天皇の子である舎人とねり親王がまとめ、元正天皇に奏上されました。
    現存する最古の「正史」とされています。
    ・長屋王の変(729年)
    724年に藤原不比等の四人の息子(武智麻呂・房前・宇合うまかい・麻呂)は、聖武天皇に嫁いだ妹の光明子を皇妃にしようとします。しかし、長屋王が反対をしました。
    長屋王は、父が天武天皇の皇子である高市皇子で、母は天武天皇の皇女である御名部皇女みなべのひめみこであり、また左大臣という臣下では最高位にありました。
    辛巳事件しんしじけんと呼ばれる藤原四兄弟と長屋王による対立です。
    そして729年に「長屋王は密かに左道(呪い・妖術)を学びて国家を傾けんと欲す」という密告があり、藤原宇合らが率いる六衛府りくえふが長屋王の邸宅を包囲し、長屋王を自害に追い込みました。
  7. 平安時代

    西暦:794年〜1185年
    都:平安京(山城国:京都市)
    遷都(1180年):福原京(摂津国:兵庫県神戸市)
    遷都(1180年):平安京(山城国:京都市)
    ・平安京遷都(794年)
    続日本記しょくにほんぎの完成(797年)
    ・承平天慶の乱(935年〜941年)
    ・前九年の役(1051年〜1062年)
    ・後三年の役(1083年〜1087年)
    ・保元の乱(1156年)
    ・平治の乱(1160年)
    治承・寿永じしょう・じゅえいの乱(1180年)
  8. 鎌倉時代

    西暦:1185年〜1333年
    都:平安京
    ・文永の役(1274年)
    ・弘安の役(1281年)
    ・元弘の変(1331年)
  9. 室町時代

    西暦:1336年~ 1573年
    都:平安京
    ・応仁の乱(1467年)
  10. 安土桃山時代

    西暦:1573年~1603年
    都:平安京
    ・川中島の戦い(1553年〜1564年)
    ・姉川の戦い(1570年)
    ・賤ヶ岳の戦い(1583年)
    ・小牧・長久手の戦い(1584年)
    ・関ヶ原の戦い(1600年)
  11. 江戸時代

    西暦:1603年~1868年
    都:平安京
    ・大坂冬の陣(1614年)
    ・大坂夏の陣(1615年)
    ・大塩平八郎の乱(1837年)
    ・黒船来航(1853年)
    ・桜田門外の変(1860年)
    ・禁門の変(1864年)
  12. 明治時代

    西暦:1868年~1912年
    都:東京府
    ・王政復古の大号令(1868年)
    ・廃藩置県(1871年)