史跡紹介
【新薬師寺】日本屈指の国宝 十二神将立像を拝観
探訪日:2015年12月30日
掲載日:2016年3月2日
歴史
建立の正確な年代はわかりませんが、天平19年(747年)に光明皇后が、夫の聖武天皇の眼病平癒祈願のため創立したと伝わっています。
新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな」薬師寺という意味があるそうです。創建当時は「香山薬師寺(香薬寺)」と呼ばれており、東大寺と並んで南都十大寺の一つに数えられ、四町(約440m)四方の境内には金堂、東西両塔、七堂伽藍などがあり、壮大な寺院だったと考えられています。
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本堂(国宝・奈良時代)
創建当時の建物で唯一残った貴重な建築物です。
現在建物の中には国宝の薬師如来座像と国宝の十二神将立像が安置されています。
屋根が低くシンプルな造りですが、横に長く壮麗な印象を受けました。
特に屋根瓦の美しさが際立っています!
鬼瓦は少し変わっている造りで、口から熨斗瓦が出てきています。
天平時代の金堂は「寄棟造」と言われていますが、本堂は「入母屋造」です。
日本では時代が新しくなるにつれ入母屋造が好まれるようになります。
時代の変化を建築様式から感じました。
寄棟造
入母屋造
薬師如来座像(国宝・奈良時代後期から平安時代初期)
立派な体躯は顔とのバランスが良く、威厳を感じました。
また、一番印象的だったのは仏像特有の半眼です。
通常黒目の半分くらしか見えないのですが、まるで見開いている様な感じでした。
聖武天皇の眼病平癒祈願のためなのかわかりませんが、「半眼」が特徴的でした。
如来に目が行き、見落としてしまいそうになりましたが、如来の左横には小さな牛が座っています。
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十二神将立像(国宝:※宮毘羅大将像は除く・天平時代)
十二神将像は塑造と呼ばれる粘土を材料にした彫刻です。
怒りに満ちた表情で独特なポーズをとっており、躍動感に満ち溢れています。
台座を十二体がぐるりと囲む姿は圧巻です!
十二神将は十二の方角を守ることから干支が割り当てられていますので、自分の干支の神将を探すのも楽しみの一つです。
また、伐折羅大将像を当時の色で再現したビデオが庫裡 (住職の住居)で放映されています。
当時の人々は極彩色に彩られた十二神将を見て、仏教の凄さに驚いたかもしれません。
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薬師如来座像と十二神将立像が安置されている台座
なんと台座も天平時代のものとされています。
本堂も含め造られた年代を考えると、約1300年以上前の建造物がこの小さなお寺に集まっているのには歴史ロマンを感じます。
地蔵堂(重要文化財・鎌倉時代)
小さな入母屋造の建物ですが、鎌倉時代の建物と考えれば保存状態はとてもよく見えます。
地蔵堂内には左から地蔵菩薩立像(南北朝時代)、十一面観音菩薩立像(鎌倉時代)、薬師如来立像(室町時代)が安置されています。
鐘楼(重要文化財・鎌倉時代)
袴腰(土台の箇所)が漆喰塗りになっている珍しい鐘楼です。
中の梵鐘は「日本霊異記」にある「道場法師鬼退治」で有名です。
香薬師堂
お堂の中には「景清地蔵」と「おたま地蔵」が安置されているそうです。
こぼればなし
新薬師寺の隣には「鏡神社」がありました。
こじんまりした神社ですが新薬師寺とは関係があるそうです。