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旅日記

大和三山の1つ【畝傍山】周辺の史跡探訪

大和三山の1つ【畝傍山】周辺の史跡探訪
大和三山の1つ「畝傍山うねびやま」を巡りました。
畝傍山は「天香久山あまのかぐやま」「耳成山みみなしやま」と比べると大きく「約199m」の高さがあります。
※天香久山(約152m)、耳成山(約140m)

日本書紀や古事記には畝傍山の記述が見られ、また万葉集にもその名が登場します。
古事記の神武天皇の章には「畝傍の白檮原宮かしはらのみやにおいて天下を治めた」と記されていました。

江戸時代は畝傍山の周りに多くの寺社仏閣があったので、その名残が残っています。
また、明治時代には神武天皇の宮である橿原宮があったとされる畝傍山麓に「橿原神宮」が建立されました。

橿原神宮に参拝に来られる際には、畝傍山周辺に目を向けてみるのも楽しいはずです。

日本書紀古事記重文多宝塔大和三山

旅 日:2015年12月28日

掲載日:2016年7月4日

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所要時間:約4時間

  1. 1近鉄「橿原神宮前駅」

    奈良県橿原市久米町618

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  2. 2【久米寺】

    奈良県橿原市久米町502

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    • 【久米寺】の写真
    • 【久米寺】の写真
    • 【久米寺】の写真
    「久米仙人」伝説で知られる寺。
    聖徳太子の弟である来目皇子くめのみこが創建したと伝えられるが、古代豪族の久米部の氏寺が創建したとも言われています。
    重要文化財の多宝塔は美しい佇まいです。
  3. 3【国源寺(大窪寺)】

    奈良県橿原市大久保町404

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    • 【国源寺(大窪寺)】の写真
    • 【国源寺(大窪寺)】の写真
    大窪寺の創建は出土した瓦から白鳳時代と考えられています。
    その後は歴史から名前が消え、現在は国源寺がこの大窪寺跡地に移転してきました。
    写真に写っている石は大窪寺の塔心礎しんそです。
  4. 4【大久保神社】

    奈良県橿原市大久保町245

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    • 【大久保神社】の写真
    祭神は神日本磐余彦かむやまといわれひこ(神武天皇)とその后である媛蹈鞴五十鈴媛命ひめたたらいすずひめです。
  5. 5【綏靖天皇陵】

    奈良県橿原市四条町

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    • 【綏靖天皇陵】の写真
    第2代綏靖すいぜい天皇のみささぎです。
    「葛城道」の一言主神社と九品寺の間には、皇居とされる葛城高丘宮かづらきのたかおかのみや跡の碑が建てられています。
  6. 6【慈明禅寺】

    奈良県橿原市慈明寺町380

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    畝火山口神社に向かう途中に見えます。
    今回は通り過ぎただけでした。
  7. 7【畝火山口神社】

    奈良県橿原市大谷町248

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    • 【畝火山口神社】の写真
    • 【畝火山口神社】の写真
    創建時期は不明。
    大同元年(806年)「新抄格勅符抄しんしょうきゃくちょくふしょう」に神封一戸を奉ったと記されています。
    文安3年(1446年)「五群神社誌」には西麓にあったとされますが、天正3年(1575年)の畝傍山古図では山頂に社殿が描かれていたそうです。
    この神社から畝傍山山頂に向かいました。
  8. 8【畝傍山山頂】

    奈良県橿原市山本町 畝傍山

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    • 【畝傍山山頂】の写真
    • 【畝傍山山頂】の写真
    • 【畝傍山山頂】の写真
    天気に恵まれたので山道からは橿原を眺望できました。
    山頂には畝火山口神社の社殿跡もあり、時代によってはここまで参拝に来ていたと思われます。
  9. 9【神武天皇陵】

    奈良県橿原市大久保町71-1

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    • 【神武天皇陵】の写真
    • 【神武天皇陵】の写真
    • 【神武天皇陵】の写真
    畝傍山を順路では無い場所を通って下山したので、思いもよら無い場所にたどり着けました。
    第1代神武天皇の陵です。
    綏靖天皇陵に行く前に訪れる予定でしたが、道を間違え通り過ぎたので、幸運な収穫です。

    天皇陵までの参道は森に囲まれており、厳かな雰囲気を醸し出していました。
  10. 10【橿原神宮】

    奈良県橿原市久米町934

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    神武天皇を祀る神社です。
    今回は時間の都合で鳥居の前までで引き返しました。

    この後、橿原神宮前駅に戻り帰路につきました。

所要時間:約4時間

日本書紀古事記重文多宝塔大和三山

旅 日:2015年12月28日

掲載日:2016年7月4日

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略式年表
  1. 旧石器時代

    西暦:〜紀元前1万4000年頃
    都:不明
  2. 縄文時代

    西暦:紀元前1万4000年頃~紀元前300年頃
    都:不明
  3. 弥生時代

    西暦:紀元前300年頃~250年頃
    都:不明
  4. 古墳時代

    西暦:250年頃~600年代の末頃
    都:不明
  5. 飛鳥時代

    西暦:592年~710年
    都:飛鳥京(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(645年):難波宮(摂津国:大阪市中央区)
    遷都(655年):飛鳥京(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(667年):近江大津宮(近江国:滋賀県大津)
    遷都(672年):飛鳥浄御原宮あすかのきよみはらぐう(大和国:奈良県明日香村)
    遷都(694年):藤原京(大和国:奈良県橿原市)
    乙巳いっし・おっしの変(645年)
    中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を暗殺した政変。
    蘇我氏の本宗家は滅亡した。
    蘇我氏などの飛鳥の豪族がいる場所から、難波宮に遷都(645年)。
    ・大化の改新(646年)
    乙巳の変後に改新の詔に基づく政治改革。
    天皇を中心とする中央集権を目指した。
    ・白村江の戦い(663年)
    朝鮮半島の白村江で行われた、倭国・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争。
    しかし倭国・百済連合軍は敗戦。
    日本侵攻を防ぐため太宰府に水城を築き、九州沿岸には防人を配備した。
    さらに防衛のため、近江大津京への遷都も行っている(667年)。
    ・壬申の乱(672年)
    天智天皇の死後、大海人皇子(後の天武天皇・天智天皇の異母弟)が反乱を起こし、大友皇子(後に弘文天皇の称号を得る・天智天皇の息子)を自決に追い込んだ内乱。
    乱後、大海人皇子は天武天皇となり、飛鳥浄御原宮を造って即位した。
    ・大宝律令(701年)
    661年、天武天皇により律令制定の詔が出され、天武没後の689年に持統天皇により飛鳥浄御原令が施行された。
    ただ、まだこの段階では「令」のみで「律」は制定されていなかった。
    そして、701年に文武天皇により大宝律令が公布された。
    日本初の本格的な律令政治の基本法である。
    また、編纂には藤原鎌足の息子、藤原不比等も関わっていた。
  6. 奈良時代

    西暦:710年~794年
    都:平城京(大和国:奈良県奈良市)
    遷都(744年):難波宮(摂津国:大阪市中央区)
    遷都(745年):紫香楽宮(滋賀県甲賀市)
    遷都(745年):平城京(大和国:奈良県奈良市)
    遷都(784年):長岡京(山城国:京都府長岡京市)
    ・平城遷都(710年)
    710年に元明天皇により平城遷都の詔が出された。
    平城京は唐の長安や北魏洛陽城を模して建造されたとされている。
    ・古事記の成立(712年)
    古事記の最初の編纂は天武天皇の時代に遡ります。
    天武天皇は稗田阿礼ひえだのあれ誦習しょうしゅう(書物などを暗記する)を命じました。
    しかし、天武天皇が亡くなったので、元明天皇が太安万侶おおのやすまろに命じ、稗田阿礼が誦習していた内容をまとめさせました。
    そして、712年に太安万侶から元明天皇に献上されました。
    現存する最古の「歴史書」とされています。
    ・日本書紀の完成(720年)
    日本書紀は天武天皇の命により編纂が始まります。
    681年に川島皇子らに編纂を命じ、720年に天武天皇の子である舎人とねり親王がまとめ、元正天皇に奏上されました。
    現存する最古の「正史」とされています。
    ・長屋王の変(729年)
    724年に藤原不比等の四人の息子(武智麻呂・房前・宇合うまかい・麻呂)は、聖武天皇に嫁いだ妹の光明子を皇妃にしようとします。しかし、長屋王が反対をしました。
    長屋王は、父が天武天皇の皇子である高市皇子で、母は天武天皇の皇女である御名部皇女みなべのひめみこであり、また左大臣という臣下では最高位にありました。
    辛巳事件しんしじけんと呼ばれる藤原四兄弟と長屋王による対立です。
    そして729年に「長屋王は密かに左道(呪い・妖術)を学びて国家を傾けんと欲す」という密告があり、藤原宇合らが率いる六衛府りくえふが長屋王の邸宅を包囲し、長屋王を自害に追い込みました。
  7. 平安時代

    西暦:794年〜1185年
    都:平安京(山城国:京都市)
    遷都(1180年):福原京(摂津国:兵庫県神戸市)
    遷都(1180年):平安京(山城国:京都市)
    ・平安京遷都(794年)
    続日本記しょくにほんぎの完成(797年)
    ・承平天慶の乱(935年〜941年)
    ・前九年の役(1051年〜1062年)
    ・後三年の役(1083年〜1087年)
    ・保元の乱(1156年)
    ・平治の乱(1160年)
    治承・寿永じしょう・じゅえいの乱(1180年)
  8. 鎌倉時代

    西暦:1185年〜1333年
    都:平安京
    ・文永の役(1274年)
    ・弘安の役(1281年)
    ・元弘の変(1331年)
  9. 室町時代

    西暦:1336年~ 1573年
    都:平安京
    ・応仁の乱(1467年)
  10. 安土桃山時代

    西暦:1573年~1603年
    都:平安京
    ・川中島の戦い(1553年〜1564年)
    ・姉川の戦い(1570年)
    ・賤ヶ岳の戦い(1583年)
    ・小牧・長久手の戦い(1584年)
    ・関ヶ原の戦い(1600年)
  11. 江戸時代

    西暦:1603年~1868年
    都:平安京
    ・大坂冬の陣(1614年)
    ・大坂夏の陣(1615年)
    ・大塩平八郎の乱(1837年)
    ・黒船来航(1853年)
    ・桜田門外の変(1860年)
    ・禁門の変(1864年)
  12. 明治時代

    西暦:1868年~1912年
    都:東京府
    ・王政復古の大号令(1868年)
    ・廃藩置県(1871年)