旅日記
大和三山の1つ【畝傍山】周辺の史跡探訪
大和三山の1つ「畝傍山」を巡りました。
畝傍山は「天香久山」「耳成山」と比べると大きく「約199m」の高さがあります。
※天香久山(約152m)、耳成山(約140m)
日本書紀や古事記には畝傍山の記述が見られ、また万葉集にもその名が登場します。
古事記の神武天皇の章には「畝傍の白檮原宮において天下を治めた」と記されていました。
江戸時代は畝傍山の周りに多くの寺社仏閣があったので、その名残が残っています。
また、明治時代には神武天皇の宮である橿原宮があったとされる畝傍山麓に「橿原神宮」が建立されました。
橿原神宮に参拝に来られる際には、畝傍山周辺に目を向けてみるのも楽しいはずです。
畝傍山は「天香久山」「耳成山」と比べると大きく「約199m」の高さがあります。
※天香久山(約152m)、耳成山(約140m)
日本書紀や古事記には畝傍山の記述が見られ、また万葉集にもその名が登場します。
古事記の神武天皇の章には「畝傍の白檮原宮において天下を治めた」と記されていました。
江戸時代は畝傍山の周りに多くの寺社仏閣があったので、その名残が残っています。
また、明治時代には神武天皇の宮である橿原宮があったとされる畝傍山麓に「橿原神宮」が建立されました。
橿原神宮に参拝に来られる際には、畝傍山周辺に目を向けてみるのも楽しいはずです。
旅 日:2015年12月28日
掲載日:2016年7月4日
所要時間:約4時間
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関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/kumedera.html
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大窪寺の創建は出土した瓦から白鳳時代と考えられています。
その後は歴史から名前が消え、現在は国源寺がこの大窪寺跡地に移転してきました。
写真に写っている石は大窪寺の塔心礎です。関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/kokugenji.html
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祭神は神日本磐余彦(神武天皇)とその后である媛蹈鞴五十鈴媛命です。
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第2代綏靖天皇の陵です。
「葛城道」の一言主神社と九品寺の間には、皇居とされる葛城高丘宮跡の碑が建てられています。関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/suizei.html
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畝火山口神社に向かう途中に見えます。
今回は通り過ぎただけでした。 -
創建時期は不明。
大同元年(806年)「新抄格勅符抄」に神封一戸を奉ったと記されています。
文安3年(1446年)「五群神社誌」には西麓にあったとされますが、天正3年(1575年)の畝傍山古図では山頂に社殿が描かれていたそうです。
この神社から畝傍山山頂に向かいました。関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/unebiyamaguchi.html
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天気に恵まれたので山道からは橿原を眺望できました。
山頂には畝火山口神社の社殿跡もあり、時代によってはここまで参拝に来ていたと思われます。関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/unebiyama.html
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畝傍山を順路では無い場所を通って下山したので、思いもよら無い場所にたどり着けました。
第1代神武天皇の陵です。
綏靖天皇陵に行く前に訪れる予定でしたが、道を間違え通り過ぎたので、幸運な収穫です。
天皇陵までの参道は森に囲まれており、厳かな雰囲気を醸し出していました。関連サイト:http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/jinmu.html
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神武天皇を祀る神社です。
今回は時間の都合で鳥居の前までで引き返しました。
この後、橿原神宮前駅に戻り帰路につきました。
所要時間:約4時間
聖徳太子の弟である来目皇子)が創建したと伝えられるが、古代豪族の久米部の氏寺が創建したとも言われています。
重要文化財の多宝塔は美しい佇まいです。