史跡紹介
【壺井八幡宮】河内源氏の本拠地に氏神を勧請した神社
探訪日:2016年2月28日
掲載日:2016年6月20日
歴史
寛仁4年(1020年)に源頼信が河内守に任命されてから、この一帯(大阪府羽曳野市)は河内源氏の本拠地となりました。
その後、康平7年(1064年)に「前九年の役」を平定した源頼義が、河内源氏の氏神である「石清水八幡宮」を私邸の東側に勧請したのが、本宮の創建です。
その後、頼義の東国進出に伴って鎌倉にも石清水八幡宮を勧請しました。
それが後の「鶴岡八幡宮」です。
そして源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際に、河内源氏の氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移されました。
壺井権現社
本宮内の西側には「壺井権現社」があります。
天仁2年(1109年)に源義時(源義家の五男)によって、頼信・頼義・義家の三将軍を祀った河内源氏の宗廟として造営されました。
江戸時代の再建と平成の復元修理
それ以後は多くの兵火にあい荒廃したのですが、元禄14年(1701年)に徳川綱吉の命で再建されました。
現在の社殿は平成になって復元修理しています。
井戸
平安時代に起きた前九年の役、この戦いで義家軍が飲料水に苦しんだ際に、弓の先で崖を突き崩し冷泉を得ました。
これにより兵の士気が大いに増しました。
平定後、冷泉を壺に入れて持ち帰り、苦戦の記念として井戸を掘って底に壺を埋めました。
井戸は現在も残っており、近年まで飲料水として利用されていたそうです。
また、元々ここ一帯は「香炉峰」と呼ばれていたのですが、この時から地名を「壺井」に改めたとされています。
天然記念物の「楠の木」
境内の階段を上ってすぐ右手には樹齢約1000年になる天然記念物の「楠の木」があります。
この樹が河内源氏の盛衰と共に生きたと思うと感慨深いものがあります。