史跡紹介
【源氏三代の墓】河内源氏の礎を築いた三代が眠る地
探訪日:2016年2月28日
掲載日:2016年6月9日
河内源氏
源頼朝や源義経をご存知ですか?
多くの人が知っていると思われます。
鎌倉幕府を開いた頼朝と、牛若丸で知られる義経は有名です。
この二人は共に「河内源氏」の流れを汲みます。
「河内源氏」とは、源満仲の子、源頼信が河内国司に任ぜられ、河内国古市郡壷井(現在の大阪府羽曳野市)を本拠地としたことから「河内源氏」と呼ばれるようになりました。
河内源氏は頼信を祖とし、二代目に頼義、三代目に義家と続きます。
この三代の墓が羽曳野市の通法寺跡周辺に点在しているのです。
また、頼朝は河内源氏の七代目の棟梁になるのですが、以後の三代で河内源氏は途絶えてしまいます。
源頼信
源頼信(安和元年(968年)〜永承3年(1048年))
満仲の三男として生まれる。
寛仁4年(1020年)に河内国司に任ぜられて、河内国古市郡壷井を本拠地としたことから「河内源氏」と呼ばれるようになりました。
長元4年(1031年)に「平忠常の乱」を平定し、東国支配の礎を築きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/源頼信
源頼義
源頼義(永延2年(988年)〜承保2年(1075年))
頼信の嫡男で河内源氏二代目の棟梁。
長元3年(1030年)には父 頼信と共に、平忠常討伐(平忠常の乱)に参加し、永承6年(1051年)〜康平5年(1062年)に奥州の騒乱(前九年の役)を鎮めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/源頼義
源義家
源義家(長暦3年(1039年)〜嘉承元年(1106年))
頼義の嫡男で河内源氏三代目の棟梁。
石清水八幡宮で元服したことから、八幡太郎と名乗り、八幡太郎義家として後世に知られるようになります。
父 頼義と共に、前九年の役に参加し、永保3年(1083年)に陸奥守に任命され、清原氏の内紛(後三年の役)を鎮めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/源頼義
通法寺跡
地名にもなっている「通法寺」とは河内源氏の菩提寺でもあり、現在は山門のみが残されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/通法寺
隆光
頼信の墓の近くに江戸時代の僧「隆光」の墓があります。
隆光は徳川綱吉に「生類憐みの令」の発令を勧めた人物とされています。
大和国(現在の奈良県)出身の隆光は通法寺再興に尽力してくれたので、分骨墓として残されたと伝えられています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/隆光
この他にも義家の墓の近くには、通法寺の歴代住職などの墓石が散在しています。
史跡情報
源氏三代の墓
住所:大阪府羽曳野市通法寺